*第9弾:アルベール・シモンズ父子鳩舎の紹介*
第1弾は、
・シモンズ鳩舎は、1992年にオランダのローステレンからベルギーのマースエイクに鳩舎を移しました。 |
アルベール・シモンズ。1923年生まれの彼は今年(1995年当時)で72歳を迎える。この間、彼は栄光に満ちた鳩人生を送ってきました。1923年1月5日、アルベール・シモンズは、オランダのスステレン地区の小さな町に生まれました。シモンズが11歳の時、家族は国境を越えてベルギーのリンブルグ州のマースエイクに移住しました。このマースエイクは、オランダとの国境を隔てるマース川沿いにあり、美しい景観の町だそうです。
ヨーロッパ全土を巻き込んだ第2次世界大戦が終結した年に、シモンズは、マースエイクで自分の会社を設立し、この土地で1946年より鳩レースを開始しています。当時としては、驚くほど近代的な鳩舎が新築され、ライマーカーを理想の師と仰いだ彼の鳩レース開始は、その当時からレースマンたちの脅威となっていたようです。飼育開始当初からシモンズは、種鳩の導入に当たっては金を惜しまず、ベルギーの有名鳩舎から優秀な種鳩を積極的に導入しました。シモンズのこの努力とライマーカーの適切な助言が実を結ぶまで、それほどの時間はかかりませんでした。レース開始後間もなく、シモンズはリンブルグ州の強豪鳩舎として知られるようになります。当時の記録としては、1シーズンにバルセロナN総合28位、32位、92位、ベルリンN総合3位、5位、30位という成績があります。
しかし、1953年には自鳩舎の種鳩が盗難に遭ったり、会社が忙しくなったため、シモンズは5年間ほどレースから遠ざかっていました。その後、シモンズはレースを再開することになりますが、1966年当時の彼の種鳩は実に素晴らしいものであったと言われています。
『シモンズの鳩に対する理念』
シモンズは言う。「長距離レースは羽根の消費レースである」と。また、こうも言っている。「長距離レースは忍耐力の勝負である」と。彼の考え方から言えばこういうことになる。つまり、長距離レースでの成功を望むなら、まず確固たる種鳩群を完成させること。種鳩がしっかりしてさえすれば、レースでの鳩が失踪したとしても、それほど大きなダメージをこうむることは無い。次に大切なのが忍耐である。もし優れた種鳩の導入に成功したら、後は根気強く耐えることだ。焦ってはいけない。もちろん、それだけの努力をするのだから、それに見合うだけの本当に優秀な資質を備えた種鳩を導入しなければとんでもないことになる可能性もあるだろう。---CH誌1988年4月号より---
シモンズは、1960年代後半より長距離レースに目標を置くようになりました。しかし、彼の住んでいるマースエイクは、ベルギーでも最長距離に位置しており、レースの難しさ並大抵ではなかったようです。そのシモンズに栄光の時が訪れます。1971年のポーINで1歳になる♀のB70−5167464が総合優勝を成し遂げたのです。この♀鳩は、前年のアングレームNで多額の賞金を獲得していたシモンズ鳩舎のエース鳩でした。その後、この鳩はシモンズ鳩舎の基礎鳩に加えられています。
シモンズがポーIN総合優勝を遂げた1971年は、彼にとって大きな転換期を迎える年でもありました。オランダの長距離CH鳩舎として君臨するアドリアヌス・ファンデウェーゲン鳩舎を訪問したのです。そこで、彼はウェーゲン鳩舎の基礎鳩『オード・ドーファーチェ』H58−314753の不思議な魅力に強い印象を受けたらしい。長距離レースに意欲を燃やすシモンズにとって、この鳩は是非とも導入したい血統の一つでした。この時、シモンズは、『オード・ドーファーチェ』の直子を5羽譲り受け、その内次の4羽がシモンズ鳩舎や他鳩舎の長年にわたる長距離レースでの素晴らしい活躍の原動力となりました。
・『オード・ドーファーチェT』H71−5243224
・『オード・ドーファーチェU』H71−5243225
・『オード・ドーファーチェV』H69−2116581
・『オード・ドーファーチェW』H68−2088849
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2005年9月25日UP(CH誌1987年11・12月号&1995年3月号より)-----
第2弾
1976年初頭、シモンズは自分の生まれ故郷であるオランダへと再び戻りました。しかし、実際に移動した距離は僅か3km程度のローステレンという町でした。しかし、シモンズ自身にしてみれば、それは苦しい道のりだったかも知れません。ベルギーを離れる直前の彼の生活は、それほど楽しいものではなかったようです。自ら経営する会社を手放さなければならなかったこと。その上体調も思わしくなく、一流レーサーが盗難に遭っている。でも、シモンズはそんな苦しい状況の中でもレースへの情熱はだけはいつも持ち続けていました。選手鳩を失った彼は、また最初からやり直さなければならなかったのです。ただ、一つの救いは盗まれたのが選手鳩だけだった事です。彼の手元にはオードドファーチェの直子を始めとする優秀な種鳩は健在だったのです。彼は時間と情熱さえあれば、充分にオランダでも通用するレーサーを作ることができました。
この町で彼は、ファンデウェーゲン鳩舎の”オードドファーチェ”の直子のほかに、更に他鳩舎から意欲的に種鳩の導入を行いシモンズの新たな挑戦が始まったのです。ジルモン鳩舎からは1983年バルセロナIN総合優勝の全姉妹を導入し、また、ファンデシャイペ鳩舎からは純のヘクトール・デズメット系の鳩を導入しています。これらの鳩を基にシモンズ鳩舎は近親交配、異血交配を繰り返しながら現在の長距離系統を確立していきました。そのローステンで、彼は再び総合優勝を成し遂げています。1981年のペルピニャンNがそのレースです。つまり、彼はベルギーとオランダの二つの国において総合優勝を成し遂げたというわけです。このペルピニャンN総合優勝は、”オードドファーチェT”の直子です。
また、翌1982年には、バルセロナN総合優勝、同IN総合2位の成績を収めています。この鳩も”オードドファーチェT”の直子でした。さらに、1984年にはマルセイユN総合2位を成し遂げ、翌1985年にはオランダ・マラトンで第1位を獲得しています。マルセイユN総合2位鳩は、”オードドファーチェT”の孫にあたり、マラトン第1位鳩は”オードドファーチェT”の直子でした。1987年には、マルセイユNで4度目のN総合優勝を遂げています。この鳩は”オードドファーチェT”の曾孫にあたります。シモンズ鳩舎の”オードドファーチェ”の直子たちのすごいところは、他鳩舎においても非常に顕著な成績を収めているところです。
*P.ポールセン鳩舎:1986年ダックスN総合優勝
*T.ペータース鳩舎:バルセロナIN4年連続上位入賞
*C.ファンオッペン鳩舎:1987年バルセロナIN総合優勝
*G.カークランド鳩舎:1988年アングレームN総合優勝
*A.ビューネン鳩舎:1993年ダックスN総合優勝など。
シモンズ鳩舎の偉大さは、無論彼の基礎鳩である”オードドファーチェT”によるところが大きいが、そうした中でも最も注目しなければならないのが彼の交配作出の天性のセンスでしょう。ベルギー・オランダという二つの鳩王国においてN総合優勝を成し遂げたことは、決して偶然の成せる業ではないでしょう。
アルベール・シモンズは、1992年に生まれ故郷のオランダを離れ、再びベルギーのマースエイクに鳩舎を移しました。息子のウィリーと共に鳩舎を管理する彼の目には、常に長距離レースへと熱く向けられています。
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2005年11月19日UP(CH誌1987年11・12月号&1995年3月号より)-----
※アスカロフトで実績の出た,A.シモンズ鳩舎の”オードドファーチェT”のライン。