レース鳩の神秘

『第2弾 帰巣性の神秘』


未知の場所から放された鳩は、いかにして鳩舎の位置(方向)を知るのだろうか?

現在(2015年)時点でのレース鳩(=伝書バト)の帰巣に関する文献を探ってみたところ、よくまとまっているものがありましたので紹介します。また、文献としては古いですが、1977年の月刊チャンピオン1月号の特集記事も紹介してみたいと思います。

Part 1

1 人の訓練(舎外)により、飼育されている鳩舎の近くの様子やにおいを記憶しており、鳩舎の近くからの帰巣には、これらの記憶を用いていると考えられている。

2 鳩舎から数十kmまでの所からの帰巣は、鳩舎に向かって走っている大きな目立つ道路や線路に沿って飛び、鳩舎まで戻るという結果が得られている。

3 遠くから帰巣する時には、おおよその方向は、太陽コンパスあるいは磁気コンパスを用いて定位している。

伝書バトの帰巣

 「春の渡りは生まれた場所への執着心、秋の渡りは食物への関心」から、鳥は渡りという行動を示しているという。これは「動物の行動はすべて交尾や産児や食物の獲得に関係がある」というアリストテレスの言葉に通じるものであるが、伝書バトの帰巣はどうなっているのだろう。残念ながら、伝書バトがどのような欲求によって自分の鳩舎に帰ろうとしているのかという研究は見当たらない)。しかし、どのようにして鳩舎の方向を見つけて帰ってくるのか、すなわち伝書バトの定位と航行についての研究は数多い。今、それらの研究からどのようなことが言われているのかを見ておくことは、渡り鳥が何を感知し、どのようにして渡り、とくに帰巣、の方向を決めているかを知る参考になるだろう。伝書バトには、鳩舎への帰巣という行動はあるが、鳩舎からどこかに向けて旅立つという行動はないのである。

 伝書バトは、アフリカからヨーロッパにかけて生息していたカワラバトが人に飼い慣らされ、すぐれた飛行能力と帰巣本能を持つように品種改良されたもので、5000年前のエジプトですでに通信に利用されていたという。通信手段が発達した現在では、ハトが通信に利用されることはほとんどない。しかし、能力を競うレースは盛んに行われており、優秀なハトは1000 kmの距離を毎分1km(=分速1000m)以上の速度で飛行して巣に戻ることができるそうである。

 伝書バトは、人の訓練により、飼育されている巣の近くの様子やにおいを記憶しており、鳩舎の近くからの帰巣には、これらの記憶を用いている、と考えられている。しかし、遠くから帰巣する時には、おおよその方向は、太陽コンパス、つまり太陽の方向を用いて定位する、あるいは磁気コンパスを用いて定位しており、状況によって、持てる能力を適切に使っている、というのが共通認識になりつつあるように見える(Gould2009)。なお、鳩舎から数十kmまでの所からの帰巣が、GPSロガーを装着したハトで詳しく調べられており、伝書バトは鳩舎に向かって走っている大きな目立つ道路や線路に沿って飛び、鳩舎まで戻るという結果が得られている。同じことを繰り返してやらせると、より正確に道路に沿って飛ぶようになった(Lipp et al., 2004)。これらのことから、この研究を行ったLippらは、近い所からの飛行(航行)には、においよりは目で見た地形の記憶が重要だと言っている。しかし、視覚的な目印のない洋上を飛び回っているアホウドリやミズナギドリの仲間は、においを指標に餌の多い海域や繁殖地を見つけている可能性が大きい(Nevitt, 2008)。生活の場が陸上と海上では、帰巣に用いる指標が異なっているのであろう。

余談になるが、しばらく前から、携帯電話の普及にあわせるかのように、レースに参加するハトの帰還率が低くなってきたそうである。そのため、携帯電話の電波がハトの磁気コンパスを乱しているのではないかと心配している人もいるそうである。

 GouldJ..:Animal navigation: a wake-p caU for homing.Current Biol 19: R338-R339(2009)

 Lipp,H.-.,vyssotki,A..,Wolfer,D..,Renaudineau,S.Saini,M。Troster,G.DellOrmo,G.:Pigeon homing along higheays and exdit.Current Biol 14: 1239-1249(2004)

 Nevitt,G..:Sensory ecology on the highseas:the odor world of the procenariform seabid.J Ep Biol 211: 1706-1713 2008

 以上は「Web TOKAI 回遊・渡り・帰巣(全12回) 第8回 鳥の帰巣 浦野明央氏のものを転載しました。同氏に転載許諾済み。」(2015年7月1日UP)  

 

Part 2

 先月号では、鳩が帰巣する際に明らかに太陽を利用している、ということまでわかってきた。1977年の月刊チャンピオン誌1月号の特集記事より転載

 渡り烏は、誰にも教えられることなしに、父祖伝来の渡りの方位をかたくなに守った。ヒナの時に、全く未知の地に運ばれて放されても、その渡りの方向は人為的に平行移動しただけであって、やはり正しい方位に向かって飛びたった。

 レース鳩は、舎外のようなすぐ近場に放された時には、帰巣すべき鳩舎の、かなり広範囲の地物を目標として記憶しているため、螺旋型の模索飛行をすることにより、記憶している地物目標を発見し、後はスィスィと帰舎した。

 一方、全く未地の地へ運ばれて放された場合は、まず最初に螺施型の模索飛行をする。その模索飛行のわずかの短い時間に、レース鳩は太陽を利用し、自らの運ばれた未知の地の方位を知覚するとともに帰巣すべき巣の方位をも知覚するわけである。

 鳩が巣から幾度となく見た太陽の位置と放された地から見た太陽の位置を照らし合わせて、放鳩地の方位と巣の方位を知覚するわけである。ここまでは先月号のワルラーフの実験でわかった。

 ところが依然として大きな疑問が残っている。それは、太陽というものは、日の出から日没まで刻々とその位置がずれてくるわけである。鳩が日中、巣の中で見た太陽の位置、高さとは、放鳩された地から見た太陽の位置、高さとは当然ずれているわけである。このずれを鳩がどのように知覚するのか、解決しないことには、鳩が無事に帰巣することは、できないのである。

 

I ムクドリと太陽

 ムクドリが渡りの興奮状態になると、寵の中に飼われていても飛んだりはねたりしながら、明らかに一定の渡りの方向に頭を向ける強い傾向を示す、という事実はすでに何度も語った。これを利用した実験である。

 ムクドリを直径70センチぐらいのドラム型の龍に入れ、さらにこれを2メートル強のちょうどプラネタリュームのような円型に近い小舎に収容した。 この小舎の中からは、側壁に18度おきにつけられた、30センチ弱四方の小窓を通してしか外は見えない。窓をかなり高くしてあるので、外の景色は見えない。見えるのは空ばかりなのである。 しかもこの小舎は、そのまま回転できる仕掛けになっている。

 渡りの興奮がおこってくると その頭の向け方を克明に観察記録するのであるが、観察者は、その小舎の下にあおむけに寝て、見上げるようにして観察するのである。龍の中心には、輪になった止り木があり、鳥はその上にとまって羽ばたきをやる。観察者は透明な龍の底を通してこれを観察できるのであるが、鳥は一定の方向を中心としてふり子のように首をふっている。それを10秒毎にその中心の方向をとらえて記録したのが第1図のbである。この図の黒い点の一つ一つは、10秒毎に記録されたムクドリの頭の向きである。

 
 これらの実験結果は空か晴れている時のことであるが、明瞭に西と北西に限られている。いいかえれば、明らかに一定の方位に定位している。ところが空か全く曇り、太陽の位置が全然弁別できない状態の時には、事情はがらりとかわって、第1図のaのようなことになり、一定の方向を指す傾向は全然現われていない。ムクドリには地上の物体は何も見えていない。見えるものは空だけなのであるから、地上の物体を基準にとって、方位をきめる術はないはずであるから基準は何か空の中に求めて、定位かおこなわれていると考えるよりほかないのである。

 ムクドリは主として昼間に渡りをする仲間である。夜渡る小鳥の仲間を前述のような方法で、田園の何のさまたげもないところで、夜実験すると大体渡りの方向を示す。都会の周辺に夕方暗くなってから鳥を移すと、都会の灯の反射で明るくなっている空に向ってしまうが、暗くなる前にその位置に持っていっておいた場合には、夜も正しく渡りの方向を指し、定位を示す。

 種々の要因で迷わされやすいようではあるが、天空の何かを基準として定位する能力のあることは疑えない。繰り返していうようであるが、今、地上の目標は何も見えないのだし、全く未知の場所に移されて実験はおこなわれているのである。

 次に昼間の実験で、太陽に向った側の窓を二つほど閉してしまう。すると、一定方向への定位はぐっと悪くなる。太陽と反対側の窓を閉じた時は、正しく定位をする。

 そこでこんどは、龍の周囲の小舎の窓に第2図a、bに示したように鏡をとりつけてみる。 この鏡の面は、小舎の中心から、窓の中心をみる視線と135度開くようにとりつけられている。第2図のaの場合だと、小舎の中心からみている寵の鳥にとって天空は、実際より90度だけ、時計の針の動きと反対の方向に回転されたことになる。つまり、各窓に見える空の一部は時計の針の方向に90度ずれた空の部分である。

 
 この実験結果は、鏡を全然つけていない第2図のcにくらべて、鏡によって天空かみかけの回転を与えられたのと同じだけ、すなわち、時計の針の反対方向へ
90度だけ、鳥の頭の向け方も移動しているのである。第2図のbでは、その反対である。

 これらのことも、完全な曇天、または、すべての窓を半透明の紙でおおった時には乱れがちである。

 ということは、鳥の定位には太陽の周囲の天空が見え、大体の太陽の位置がわかることが必要であることを物語っている。これらの実験から知りうる範囲でいえば、太陽を中心とする、3045度くらいの範囲の天空がみえることが必要である。したがって、ここで方位の判定に太陽の位置が基準となっていることを改めて確認したわけである。

 われわれに太陽の位置が判定できない時には鳥もできないのである。鳥はわれわれがするのと同にやり方で太陽の位置を知り、それを基準にして方位をきめる能力があると考えて、先に進むことにしよう。

 

II 鳩の体内時計

 鳩が、渡り鳥の渡りの方位を知る時と全く同じ方式で、訓練された方位を求めていることはわかった。これは重要な発見である。何故ならば、このことから鳩が帰巣に際して、巣の方向に定位する時にも、渡り鳥が、遺伝的に与えられたある方位に定位するのと同じメカニズムによるのだろうということが推定されるからである。渡りと鳩の帰巣とはやはり一連の問題であることは、まちがいなさそうである。 われわれは今までの実験で鳩が訓練づけられた方位を天空士の太陽の位置を基準として判定していることはすでにわかっている。 しかし一定の方位と太陽の方向との関係は、時刻によって、刻々変ることはいうまでもない。それにもかかわらず、一日のうちのどの時刻にも、太陽の位置を基準として、一定の帰巣の方位を知覚し、きめることができたり、時刻をえらばずに舎外や訓練をされているにもかかわらずある方向を太陽の位置と関連づけておぼえるということは実に不思議なことである。

 このようなことができるためにはどうしても、鳩自体が時計をもっていて、時刻を知り、時刻による太陽の方位の動きを予知できるという、恐るべきことができなくてはならない。 これは昆虫などにおいては、さして珍しくないことであるが、いずれにしても、太陽のみかけの動きが時刻の感覚と結びついてわかっていなければはらない。ほんとうに鳩は体

内にいわゆる時計をもち、太陽が時刻とともに変化した位置を予知レ鳩のもつ体内時計とを照らし合わせて、自らの方位と巣の方位を知覚しているのであろう力………。このような驚くべき知覚能力が鳩にはそなわっているのであろう力………。

 試みに、毎朝決って8時に南で餌を与えて、訓練してみる。そして訓練が完成したところで、午後3時にテストしてみる。毎朝8時の太陽の位置は大体かわらないのであるから、毎日太陽の方向と一定の角度を保つ方向に訓練づけられたはずである。それにもかかわらずテストの結果は、太陽の位置は朝とは全然ちがってもやはり正しく南を指した。

 次に外光から全く遮断された場所で人工太陽を使って鳩をだまそうという実験がなされた。

 250ワットのできるだけ平行光線になるような光源を用いて、その鳩から見た大きさが太陽のみかけの大きさと同じになるようにし、高さを調節してその時刻の太陽のみかけの高さと等しくなるようにした。

 ただこの太陽は水平面に関しては固定しており、上下の調節だけができるのである。

 このようにして毎日決った時刻に、この人工太陽を自然の太陽とみなした時の西の向きで餌を与えて訓練する。訓練は立派に成立し訓練された方向をおぼえる。そこで訓練をつけたのとはちがう時刻に、人工太陽の高さはその時刻の高さに調節して、テストしてみると、鳩は見事にだまされて、実はこの人工太陽は方位でいえば少しも動いていないのに、自然の太陽と同じ動きを計算に入れ、自然の太陽のその時刻の位置を基準とした西に餌を求めたのである。

 人工太陽の位置は固定しているのであるから、それは当然訓練された方位とはまるでそっぼを向いているわけである。鳩は、彼の方位判定の秘伝を見抜かれて、まんまとだまされてしまったのである。

 いまだろくに自然の太陽をみたことのない鳩でも自然の太陽の動きを自分の体内時計に照して読むことができるかどうか……。

 これを試すため、生れて12日目のヒナを巣から離して人工太陽の室で育て、成鳩になったところで、人工太陽の実験をやってみた。その結果は、2羽訓練に成功して、その中の1羽は、やはり太陽の動きを計算に入れた方位をとったのである。ところが、この実験は9月におこなわれたのに、この鳩の太陽の動きの計算は、その季節の太陽の移動の速さよりいささか速くみつもられていた。それは、大体6月の太陽の速さであった。

 実に驚くべきことであるがその鳩がヒナの時に、巣の中からかいまみることのできた実の太陽は6月の太陽であったのだ。

 体内時計が想定されたのであるから、次はこれをすすませたり、おくらせたりできるだろうか。

 そこで相当長い間、自然の太陽の下で一定の方位に餌を求めるように訓練づけておいた鳩を外光から遮断させた室に入れ、日の出より6時間おくれて、人工太陽を照らし、日没より6時間おくれて消すようにした。つまり明暗のリズムを正常の昼夜の変化より6時間ずらしたわけである。こうしておいて、12日目から18日目にかけて、自然の太陽の下でテストをやった。テストの時刻としては、第3図で見ると明らかにわかる正常の時刻(1)と、おくらせた時刻Aとで太陽の高さの同じ点、すなわち図で矢印で示した時刻を用いた。

 
 この高さの太陽に直面して果して鳩は、正常の時刻に準じて正しく、前に訓練づけられた方位を選ぶか、あるいは、おくらされた時計に準拠して、誤った方位を選ぶか。つまり鳩の体内時計は人工的に与えた明暗の位相のずれに影響されて狂ったか、狂わなかったか。

 鳩のいわゆる体内時計はやはり見事に狂っていた。正確に6時間おくれていたのである。狂った時計では正常の午後3時の太陽の高さは午前9時の高さとして受けとられ、9時の太陽に対しての訓練された南の方位をとるので、結局時計の針のまわる方向につまり、第5図において正常の9時の太陽の位置と南との角度を45度と仮定すると、太陽の斜め右方45度のところに南があるわけである。


 ところが、午後3時の太陽の位置を午前9時とみなしているために、太陽に対して斜め右方
45度を向いても実は、それは北であったのだ。90度ほどずれた方位を選んでしまったことになる。

 鳩のもついわゆる体内時計は、一昼夜の明暗のサイクルに依存しているのである。

 基準は明らかに太陽に求められていた。それでは太陽の運行に直接関連して、変らないものがなにかないものであろうか。それは、太陽の運行の軌道の最高点の方位で、それは常に南にある。

 鳩は短時間、太陽のわずかな動きを見ただけで、その動きをのばして、天空にかかる虹のような太陽運行の軌跡を予知することができ、したがってその最高点である南の方位を知覚できるわけである。

 この学説によると、一定の方位をねらってひたすらに飛ぶレース鳩は、時々刻々と変化する太陽の方向との角度を調節しながら飛ぶなどというのではなく、ある時刻の太陽の位置から知った、太陽道行のちょうど虹のような軌跡の最高点(正午の位置、南)に対して常に一定の角度を保って飛んでいるということになる。

 

III 感覚による巣とのつながり

 非常に興味深いことに、鳩をあまりに近いところで放した場合には、遠いところで放したのに比べて、比較的にみてであるが、帰巣の時間がはなはだ長いという事実がある。その実験を次に記そう。

 ニグループのきわめて帰巣能力のよいベテラングループのレース鳩を使った。第6図のaは100K以上も離れた場所から放鳩した時の定位の有様を示している。鳩が飛び去った方向と巣の方向とのずれの角度は平均39度で定位は良好といえそうだ。この鳩たちを、晴天の日に40K足らずの場所から放鳩した結果が、第6図のbである。同じように、飛び去った方向と巣の方向とのずれを測ると85度にもなっている。定位はほとんどないといってよいであろう。さらにもっと近く15Kぐらいの地点で放鳩してやると、平均の定位のずれは、45度ぐらいになりまた定位の回復をみせるのである。


 これらの実験で確認されたことは、冒頭で述べたように、近場から放鳩された場合には地物の記憶による定位がなされているということである。何故ならば、それからさらに距離を短くして放鳩した場合には、大体においてだんだん定位がよくなるからである。しかし、それも運ばれる方向によって大きな差があることは当然である。数多く飛んだ経験のあるところとないところでは、大きな差があって当然なのである。

 以上の確認されたことから言えることは、巣の方位を知覚し、定位できるメカニズムは少なくとも50キロ以上遠いところではじめて働くようになるということである。

 

W 鳩の太陽コンパス

 鳩は、鳩舎の中から毎日かいまみる太陽の軌道によく馴れている。また各時刻の太陽の軌道上の位置も鳩のもつ体内時計と照合させて記憶しているはずである。そこで次のような仮説をたててみる。

 鳩は全く未知の地に運ばれると、おそらく、ほんのわずかの短い時間内の太陽の移動の観察から、その間の太陽の動きの弧をのばして、太陽の通過する全軌道の弓型を把握してしまい、正午に太陽が到達する最高点()の位置を計算する。その太陽の高さと、今まで自分の鳩舎の中から見ていた太陽の高さの記憶とを比較すると緯度の変化がわかるはずである。

 つまり第7図において太陽の移動する軌道を水平線までのばした弓型と地面との傾きcは緯度によってちがうが、同一の場所では季節にかかわらずに一定である。日本でいえば、北に向かうほどこのcの角度は小さくなるわけである。したがって軌道上の太陽の最高点の高さは、北にいけばいくほど低くなるわけである。


 鳩は何か未知の方法でどの方角へ移動されたかを知り、帰巣に際してはただその方向を太陽コンパスを用いて具体的に決定するのであろうと考えられる。

 しかし、太陽がただ単に太陽コンパスとしてだけ役立っているのではなさそうだ。何故なら、鳩にしても他の鳥の種類にしても同じことがいえるが、放された地点でほんの瞬間的にしか太陽を見ることができなかった場合は、巣の方向への定位がほとんど、できないからである。

 やはり、遠方の未知の地へ運ばれてから帰巣する鳩にとっては、太陽は単にコンパスとして使われているのではなく前述の仮説の可能性しかないようである。それは、鳩舎で見ていた太陽の条件と、放された場所の太陽の条件とを比較して、緯度、経度のずれを知る……さらに太陽の運行軌道上の最高点をきめ、その高さのちがいによって、緯度の変化を知覚する……ということである。

 もし、この仮説が正しいのならば、鳩が一週間か10日間ほど太陽を見ることができない状態におかれた後に、南北に移動させられた場合、これは当然混同をおこす可能性がある。それを実証した実験が次のものである。

 実験は、太陽の最高点の高さが毎日だんだんと低くなっていく秋分の直前におこなわれた。

 西の方向から帰巣する訓練をうけていたレース鳩を用いAダループは6日間、Bグループは9日間、全く太陽が見えない状態に閉じこめた。しかし人工照明によって正常の昼夜のリズムはつけられていた。

 6日間たった時、太陽の位置は、鳩が閉じこめられる前に比べて2度19分、9日間たった時には3度28分低くなっていた。

 Aグループは6日目、Bグループは9日目に閉じこめたまま南方の地点に運ばれ放鳩された。その上地の正午の太陽の高さは、巣の位置での太陽の高さより1度04分だけ高い。したがってAグループは、差引き1度15分、Bグループは2度24分だけ、太陽の最高点の高さが巣の地点で最後に見た時に比べて低くなっているわけであるバ第8図 参照)

 鳩が太陽の最高点の高さの変化によって緯度の変化を知るという仮説が正しいのならば、今鳩が運ばれたのは、実際には南であるのに、正午の太陽の高さは記憶に残る巣の位置からみた高さより低くなっているために、あたかも北に運ばれたように錯覚をするはずである。第8図を参照していただきたい。

 
 実験の結果は第9図に示してある通りである。大部分の鳩が北に運ばれたと錯覚をして、南を指して飛び去っている。仮説は正しかったのだ。毎日太陽を見ることができた別のグループの鳩は、いずれも全く正常な定位を示し、北に向って巣の方向へ飛び去ったのである。


  これら数羽の正しく巣の方向へ飛びたった鳩たちは、太陽の運行の軌道をずっとすその方へのばして地平線と接するところで、太陽の軌道をふくむ面と地平面とのかたむきを計算したといえる。

 そのかたむきは、一地点についていえば一年を通じて一定不変である。前述したように、北へいけばいくほど、このかたむきの角度は小さくなるわけであるから、このことを覚えていれば緯度の変化の判定に大いに役立つわけである。

 言いかえると、季節の変化によって太陽の運行の弧がいくら低くなっても、地平との傾きの角は変らないわけであるから、太陽の弧が地平とつくる角が小さくなった場合は、自分が北に運ばれたのだと知覚できるわけである。したがって、このメカニズムによって帰巣している鳩は、季節の変化による最高点の太陽の高さの変化と、緯度の変化によるものとは混同しないわけである。

 ここまできて、ようやく帰巣の際のメカニズムの糸口がつかめてきた。つまり緯度の変化を知ることは、南一北のどちらかに運ばれたことを知覚することができるわけである。巣の中からかいま見た太陽の高さと一致させてある体内時計を利用し、現在見ている太陽の位置から想定した太陽の最高点を予知する。そして、その太陽の軌道のつくる弧面と地平面との角度をみるわけである。その角度が巣からみた時よりも小さければ、北へ、大きくなっていれば南へ運ばれたわけである。ところが、これでは南一北に運ばれたことは知覚できても、経度つまり東一西が知覚できなければ完全とはいえない。

 我々が経度の変化を知る場合には、第10図をみるとはっきりする。この図は同時刻であり、緯度も同じで経度だけが変化すると仮定する。



 A地点から見た太陽の位置はAである。少し東に移動したA'から見た太陽の位置はA'となる。逆に西に移動したA″から見た太陽の位置はA″となる。 この角度のずれを計算し、修正すれば正しいA地点に到達できるわけである。鳩もこのようにして経度のずれを知覚できるのであろうか。さっそく実験しよう。

 不規則な明暗、餌のやり方も不規則にした鳩を10日前後の人工昼夜のもとで、一方は3時間、時計を早め、他方は3時間、時計をおくらせた。 時計をすすめた鳩は東へ、おくらせた鳩は西へ運んで放鳩した。結果は予想通りであった。

 時計をすすめて東へ運んだ鳩は東へ、おくらせて西へ運んだ鳩は西へ、いずれも巣とは反対の方角へ飛び去った。

 この実験からわかったことは、鳩は現に見る太陽の軌道上の位置が体内時計による時刻にもとづいて期待される太陽の位置から、東へずれていれば、西へ運ばれた、西へずれていれば、束へ運ばれたと知覚し、それを修正することによって正しく東一西のずれを取りもどしているわけだ。我々がやった経度のずれを知覚する方法と全く同じであった。

 

V 鳩の帰巣にともなう旋回運動

 我々は先月号、今月号で、鳩が帰巣に際して、どの方向に運ばれてきたのか、また巣の方角はどちらにあるかということを知るのに驚くべき巧妙さをもって、太陽運行の軌道をとらえ、体内時計による時刻と照合する事実をみてきた。今になって施回する鳩の行動つまり螺旋型の模索飛行を思いだすと、これこそ、定位に必要な太陽観測のための時間であることに確信せざるをえない。

 

Y 鳩や鳥の視力

 鳩の帰巣のメカニズムが分っても、我々はまだ、鳩が実際に太陽のほんのわずかのずれを弁別できるのか、という点に疑問がのこってしまう。

 鳩や鳥の視力は一体どのぐらいであろうか。鳩や鳥は人間の視力の4倍〜6倍と推定される。つまり太陽の軌道の弧と地平面とのずれを志度、弁別でき、地球の緯度で女K、天空上の太陽の志度のずれを、つまり経度で女Kのずれを弁別できるわけである。

 

完結編

 CH号というレース鳩がいた。その鳩が毎日鳩舎より見ていた太陽の位置は第11図に示す通りである。鳩舎より見る太陽は、T時になると常にAの位置にあった。CH号は自分の体内時計がT時を指すと、太陽はAの位置、高さにあることを承知していた。


 Aの位置より想定した、太陽の最高点の位置がBであることも知っていた。体内時計が毎日正午をしらせると、太陽は必ずBの位置にあった。さらに、太陽の軌道がつくる弧面と地平面とがつくる角度がX度であることも、もちろん承知していた。

 いよいよレースに参加する日がきた。CH号は、一抹の不安を感じながらも、ゴム輪をはめられ、放鳩寵に入れられた。放鳩車に揺られながら、長い長い旅が続いた。CH号のおかれた地は、今までに見たこともないところである。周囲は真暗な全く未知の世界が広がっている。ゾクッ、と冷たい戦慄が走るのをおぼえた。背筋が凍りつくような静けさだ…………やがて……?令たい朝が束の空からしだいに、白く、白くなってきた……。

 CH号は限りなく透明に近い白い空へ飛び上がった。白い空のはるか彼方に太陽が見えた。すばやく体内時計と照合したT時の太陽は、第12図のCであった。さらに太陽の移動から予知した、この地での太陽の最高点は、第13図のDと推定された。


 この未地の地でのT時の太陽の高さと予知した太陽の最高点の高さは、どちらもかなり低い。さらに弧面と地平面とのなす角度がかなり小さくなっている。つまりCH号は、北へ1000K運ばれた。またこの地でのT時の太陽の位置と最高点の位置もかなり東にずれている。即ち西へ150K運ばれたわけだ。

 CH号が、ここまで知覚するのにさして手間はとらなかった。このずれを修正するために、南へ1000K、東へ150Kの航路を一目散に飛翔した。

 眼に写るものは、限りなく透明に近い白い空ばかりであった……。

(この記事は、月刊チャンピオン「1977年1月号 徹底探究 鳩の帰巣性」から記事を転載しました。なお、編集部注として、「動物と太陽コンパス:桑原万寿太郎著」「ビクトリアル」他多数諸文献を参考にしました。とあります。発行人に転載許可済。)(2015年10月16日UP)